五支柱支配者(フュンフ・ピラー)

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  • コウウヤタ・l・ウアファグ

 藍色の髪と茶色の瞳をもつ細身・長身の若者、狼のような油断ならない目付き、蛇のような狡猾さを持つとある。五人の中では、参謀的な存在であったらしい。秘密警察組織「ダフアガイ」を組織し内敵や反逆者を厳しく弾圧した。時にはいきすぎたこともあり仲間から、反感もかったが結果は、つねに彼がが正しく人一倍、民には厳しくあたり容赦なかったという。  「憎まれ役も、国には必要だ」  この言葉がしめすとおり彼は、政治の暗黒面を一手に受け持ち常に、表にでることなく生涯を生きた。享年67歳で死亡、結婚も子供ももうけることもなかった。

  • ファイシー・O・グラーハブィ

 通称”流血食らいのグラーハビィー”褐色の肌、体毛は濃く熊をおもわせる大男とあり。さらには、顔もふくめ体のあらゆる所に入れ墨を、ほどこしていたとある。戦場には好んで出兵し常に、先頭で戦い常に勝利し続けた。その半面、書物や文献も多く残し戦いにおいての戦闘法、武人としての生き様を、後世にのこし後に1対1の戦いに人生をみいだし騎士の先駆けとなった、「カンバピュラ侵略騎士団」の初代隊長となる人物である。コウウヤタとは、対象的に29人の子供を9人の妻たちの間にもうけた。享年59歳戦場では死なず、子供にかこまれ息を、ひきとった彼は、敗北の味をしることは生涯なかったのである。

  • バヂジャヒウ

 魔法使い「ソルク」の血筋を、五人の中で一番濃く受け継いだ人物、肌の色こそ薄い黄色と白銀のあいだなれど、その瞳は鮮やかな真紅だったという。フィンヒ・ビラーのなかで、ただ一人の女性、口数は少なくその薔薇のような美しい唇をひらくところは、めったに無かったと言われている。前に述べた「魔法支配研究室」初代室長である、政治力に優れ「カンパピュラ」の表の政治に、その辣腕ぶりを振るった。征服した村の、地質の改善や、家畜の品種改良を魔法によっておこなっていた。彼女については、謎も多く死んだとは、記録されていないのだが、生きていたら800歳近い年となるので、これはないだろう。備考、ファイシーの子を生んだとある。

  • スナエイェフ・R・ワフガイヨア

 体力よりも知性、政治よりも文学や詩を愛した。伊達男、装飾品を巻き付けた淡いブラウンの髪を、腰までたらし透きとおるような白い肌に、細い目をしていた。その口からは、物事の本質をとらえ、非常にウイットにとんだジョークが人々を魅了したとある。憎まれ口も叩いたが、不思議な魅力で恨みをかうことはなかったとある。彼は国の外のことを気にかけ他国との、文化交流を一手に引き受けていた。物腰は常に紳士的であり、民に精神的なゆとりをあたえていた。宝石の研磨法、絹製糸や、絹織り法を、はじめ、香水、娯楽、酒、およそ民が望む物を、洗練されたセンスにて国に広めた文化人である。彼自身も優れた文化芸術家であったとあり、自画像をはじめ五人の肖像画を後世に残した。  「民には、与える物を与えれば、国の妨げにはならないよ。」  などの言葉を残しムードメイカー的な存在であったらしい。  コウウヤタとパヂジャヒウの結婚においてこのような言葉を言ったとある。 「彼女は、魔法使いで、美人で、頭もいい……だが、男を見る目は、3歳の子供にも劣るな……奴をみるときだけは、目が裏返るらしい、そうなれば奴はこの国一の色男だからな。」  この言葉も、やはり恨みどころか愛すべき悪愚痴として仲間の、笑いをさそった。  彼は、一人の妻と二人の愛人の間に5人の子供をもうけたが、夫婦間の争いなくこの当時としては珍しく79歳の永き天寿をまっとうした。

  • フィシア・W・ウアッエア・チッグ

 最後に紹介する彼こそフィンフ・ピラーの中心存在である。黒銀の髪にバランスのとれた目鼻だちそして見るもの全てを見透うすような珍しいスカイ・ブルーの瞳をもっていた。人々の上に立つべき魅力的な雰囲気をもっていた。この不思議な姓は、母のものだと彼は語っていたが、うまれてすぐ捨てられた捨て子で、なめした皮の裏にウアッエア・チッグ(極めて・失敗)とゆう走り書きのメモと捨ててあったいう。生い立ちそのものは、不幸であるが人生はそう捨てたものではなかった。パヂジャヒウと名乗る「魔法使い」との出会いがはじまりだったいう。彼女は彼と連れ立って、まだ未開の大地だった大陸を、旅から旅にかさね指導者としての力量をそだてたという。  彼女は、まるでわが子を導くように厳しく、そして優しく、おしえをほどこしていった。この旅の道中にコウウヤタたちと出会い、永き戦いや、平和共存などの政治戦略のすえ、「カンパピュラ」の発足にいたった……だが、国は繁栄するも、一つだけ彼に苦悩があったという。それは子供ができなかったということである。彼は、先天的に種がなかったものと今は考えられている。しかし彼は、養子をもうけ母となる女性「キイオ・オフィ・ギアア」をむかえ国の繁栄を願ったという。  国を造り繁栄をもたらし指導者として成功し幸福の絶頂をむかえた彼の最後の言葉は、「思えば、悪くない人生だった……だが、やはり俺は、失敗作か……」  血は、残せなかったものの、歴史の礎をきづいた、偉大な指導者は、こうして62歳の人生に幕を下ろした。

関連項目