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全体像の概略

魔法『マジック』とは世界の一部にであれ、ある『相』(希:Αποψις アポプシス、羅:Aspectum アスペクトゥム)に働き掛ける方法、それを行う実践です。魔術『マジカルス(マジカル・アルス)』とはそのすべ、その技術体系、それを行う理論のことです。魔法は魔術学の成果といえます。魔法は原理に基づき、象徴『シンボル』を象徴文法『(シンボル)シンタクス』()という様式によって象徴配列式『(シンボル)マトリクス』を構成することで、『相』に変化を起こすことです。

魔法原理

第一感覚原則

全ての存在には読み取れる『相』がある。

第二作用原則

存在の『相』に働き掛ける『相』上の力がある。反作用もあり得る。

第三発動原則

適当に『相』が変わることによって存在も適当に変化する。

存在、もの、概念

 存在とは術者の対象の概念である、と定義します。抽象的な概念に働き掛ける魔法というものも説明できます。概念に無いものに関わる魔法は結局、語り得ないものです。術者の語り得ないものに術をかけることは不可能だからです。概念には物や神や時間や虚無、それら、もの、に備わる霊や精霊や概念や気や象徴やエナジー、自己だろうと他者だろうとその理性や狂気や意識や解釈やイメージや信仰や思い出や感情や記憶など、対象化できる存在全てを含みます。対象化できぬものこそ魔法を説明する概念であり原理を構成するものです。それが次に述べる『相』です。

ロックやヒューム、バークリやカントといった経験論やドイツ観念論には立ち入りません。参考にはしております。

 『相』とは、わたしから見るなら、もの、の全てに必ず付きまとう影のように、全ての存在自体に対応する何かです。わたしから見るなら、存在自体全ての、わたしの知ることのできる性質や可能性や関連性や神聖さや利用価値とか愛着までのものに対応し、投影する影が『相』です。存在が一定不変のものではないように、『相』もまた不変ではないのです。しかし、『相』は、概念にも対象にもならない何かであって、もの、ではありません。
 本来の通り、私から見ないなら、ものの様相ではありません。それは哲学か生物学の相です。魔術学上では、世界は『相』の様相で現れる、存在とか事実でできています。その存在とか事実の様相を、私たちは捉えて、もの自体を論じたりしてるのです。本来的には、『相』に、もの自体が対応していると考えます。その、もの自体に様相が対応しているのです。もの自体を論じ得ないものだと判断を下すのは勝手にできますが、論じ得ないものだと判断を下すことさえ不可能なものが『相』なのです。本当に対象になり得ないとはそういうことなのです。語り得ないことをとやかく言う事は何も意味のない蚊の羽音よりも意味のないことです。倫理さえ『相』に対応しているのですから、倫理の様相しか知らずに判断を下すのは『相』には関係ありません。
 『相』は、その存在の経歴をも記憶しています。存在に関わった時間の経歴の全ての『相』を完全に知ることができるならば、世界の原初からの、存在の経歴をも知ることができます。例えば、カップを本に変える魔法があれば、『相』は本来のカップの姿も本の姿も記憶しています。カップが陶土であったことも、そのとき掘り出されて捏ねられ焼かれたこと、触れた手や被さった埃、愛用してくれた人のした会話による微かな振動も、その人が寄せる思い出も、それがいつ割れて塵になるのかも、です。だから、時間が経てば姿の戻る魔法を説明できます。本に変わったカップのカップであった記憶がどこにあったのか。未来を知る魔法も『相』で説明できます。
 『相』は物体が存在する世界にはなく、時間を越えた別のどこかにあります。あります、とか、どこかというこの文には語弊があります。それらは我々の世界ではないし、時間も越えているのですし、世界でさえもないのですから。
 しかし世界、もの、存在の全てが対応しています。この文にも語弊があります。ものの形跡を調べても、推理できるのは残った形跡以上は知り得ないからです。相応と言う方が良いでしょう。
 そこでは精神と物体の明確な境目もありませんが境目は知ることができます。この文にも語弊があります。ものではないのですし、精神や物体という言葉自体に完全な定義なんて与えられません。そんな言葉が分からないのはそんな言葉に意味がないからです。
 一個の精神が一個の『相』に相応しています。二個の精神が二個の『相』に相応しています。一個二個というこの文にも語弊があります。一個二個の、もの、なんてある特定のレベルの運動の単位であって、本来、何個、として世界全体から切り離して数えようと意図するからおかしくなるのです。
 世界も精神も記号も意味も『相』に相応しています。存在が消え去り、物体の世界では見付からなくなっても、『相』は不滅のように残って存在しなくなった存在、つまり虚無に相応させているのです。
 『相』とはいわば論じることができないと判断も下せない何かで、存在の意味や価値であり歴史であり魂、精神を越えて含む何かなのです。
 もの自体といっても、もしかしたら構いませんが、どんなに優秀な知性の感覚もイメージもこれを捉えることはできません。我々の世界が相応しつつ我々の世界を越えているのですから。神を造った神にとっては事実なのかも知れませんが、我々にとっては虚構でさえありません。そんなものは数えることも語ることも知ることも存在することもできないのでしょうか。あなたは知らなくても良いし、語らなくても良いし、数えなくても良いのです。『相』は存在ではないのですから。概念ではないのですから。
 語弊があり過ぎる文ですが、この『相』の一部の構造が変わることによって魔法が発動し変化がおきます。
 魔法をかける行為は全て対象を意図という概念で『相』を変化させることの組み合わせと解釈します。実は物理的な変化も『相』の変化によると解釈とされるのです。
 存在の『相』のうち何の構造に働き掛けるかによって、異なる魔法の流派の種類、魔法自体の種類を幾らでも説明できます。
 『相』が、固有名詞の代名詞かも知れないと私が危惧する理由がお分かりでしょうか。それなら『相』を強い意味を持ってしまうような言葉、『物自体』『神』『空』『霊体』『マナ』とか呼ぶ魔術学のほうが冒眛でしょう。それらにさえも『相』があるのですから。

第一原理解説

 原理とは原則よりも広い意味のものの拠って立つ根本法則です。三つの原則が一つの原理を構成します。
 全ての存在には読み取れる『相』がある、と第一感覚原理則は知らせています。
 しかしあなたは、もの自体を読み取っていますか。我々は、もの自体を読み取ることはできません。ものの関係を何らかの変化によって解釈しているだけです。物に光が当たり、物と光の関係を、物に当たった光を使って眼というレンズで調節し網膜で受けて色の組み合わせという頼り無いステレオタイプで解釈して、醜い、綺麗、ものである、と解釈しているのです。それを見ていると我々は言います。虫眼鏡を誰も覗かないで置いておいても誰が虫眼鏡が見ているといいますか。
 また、我々は、もの、ですから、ものの中にいます。水中で水の本来の重さを感じることができないように、空気中では空気の重さを感じることはできません。ものの中にいる我々も、ものを本当に正しく知ることはできません。
 もの、を、こころ、に置き換えても同じ事です。我々は他人のこころの中を知りようがないのですから、それぞれ別の心の中にいると考えてみてください。自分のこころにいるのに自分のこころを正しく知ることができますか。それでも他人のこころを読み取ることさえできます。それは、自分のこころの中に他人のこころが、あるからでしょうか。
 変化を解釈するすべで関係を解釈できれば、読み取るとは、その事実です。『相』を読み取るとは、自分の犬を傷付けられ全く同じ様に自分を傷付けられてみて、比較して自分のこころの痛みが分かるように、対象に変化があるところで、自分のこころの中の対象の全く同じような変化を比較できて、知ることのできないはずの『相』をそれを越えたところから読み取るのです。計ることなどできません。全ての場合は違うのです。全ての意味は違うのです。
 『相』の変化は、こころを越えた領域をこころで感じ、解釈を越えた領域を解釈しなければなりません。ある種の精神の病気と呼ばれる知性を備えなくては理解も難しいでしょう。無知な者は理解できないものに賞賛か畏怖か嫌悪を示すと言います。魔法魔術もまたそういったものなのでしょう。
 魔法の原理も知性にとって永久に神秘なままであるものの一種ですから。

第二原理解説

 存在の『相』に働き掛ける『相』上の力がある、反作用もあり得る、と第二作用原理則は知らせています。
 反作用は力の持つ当然の一面です。
 作用についても問題ですが、実は『相』にはその変化が予定されているのです。『相』の、今、という一瞬間を示す時計の針を進めるだけのことです。力が加わり変化することを『相』は組み込まれ済みなのです。そのためにある特定の術者とある魔術とある魔法が行われるというカギが必要なのです。ただ自然法則のまま時を進めるわけではありません。『相』上の変化は自然法則を、意志の原理を越えたものです。魔法の成否とはかける前に時間を越えた『相』に予定されているのです。第一原理が満たされてもかからない魔法はかからないし、かけることができない術者は、いつまでにしろかけることができないのです。自然法則よりも当然で分かりやすいのが第二原則です。もちろん、われわれはかからない原因を探ることができます。第一、第二、第三の原則が満たされないというのが、当然な理由でそれ以外に理由は存在しません。
 私から見るなら、因果関係ははっきりします。術者の魔法をかけようという意図が原因で結果は魔法の効果です。失敗の結果の原因は魔法の原理が示す条件を満たせなかった点です。私から見なければ元から予定されていたにすぎないのです。われわれが魔法をかけようとすることも、かかることも、かからないことも、間違うことも、かけようとしないことも予定されているのです。すでに、われわれが生まれる前に。
 世界はシナリオ通りにしか動かないのです。われわれはその上で運命と戦うしかないのです。これは永久に勝てないでしょう。勝てたと判断したり思うこと自体、予定されてるのですから。

第三原理解説

 適当に『相』が変わることによって存在も適当に変化する、と第三発動原理則は知らせています。
 『相』の説明で触れたように、どのように『相』が変われば意図した結果が生じるのかは分からないのです。第二原則ではどのように変わるのかは予定されていると述べました。第一原則は、魔法によって変わった『相』が今後、読み取られることが可能な姿のままなのかを判断する基準になります。第一原則を満たせなければ魔法はかけることさえできないのです。
 ここで肝心なのは適当に、という点です。適当に『相』が変化してくれなくては意図した結果以外のことが起こります。普通、手応えによって適当なのか不適当なのかが分かります。

応用の考え方

 大抵の応用には、第一原則には不能の原因を求め、第二原則には失敗の原因を、第三原則には不正確の原因を求めると良いでしょう。

応用例:魔力が消費される

 魔法力を対象に備わっている消費されるものとする魔術は、つまりマナ資源と定義するならば、同じ対象で魔法をかければかけるほどその対象の『相』を捉えるのに混乱してしまうと考えます。第二原則は反作用を知らせています。術者が術をかければその対象の『相』は錯綜したものになっていってしまうのです。つまり『相』がカオス(混沌)の方向に傾くことで消費されるマナ資源の減少を第一原則によって説明できるのです。この魔術はマナ資源を空間、時間的に吸収されると、かかっている状態を保てずに崩壊してしまいます。
 消耗される精神力など魔力、自己の力の働きをマナ資源として用いる魔術は、『相』にかかわったり働き掛けたりする潜在無意識の恐怖や膨大な労力からくる当然のストレスであれば、第一原則を満たせないでしょう。反作用を精神力で押さえる魔術もあります。集中力の魔術なら第三原則が満たせないことが関係してきます。
 必要以上に魔法をかけ続けることは第二原則の予定に反しますので自ずと限界を説明できます。

応用例:魔法のかけすぎの災厄

 魔法のかけすぎが世界全体の循環する運動『ダイナミクス』の体系の混乱、災厄を招くといった魔術も世界全体の『相』の『ダイナミクス』がバランスを保っているという概念で容易に説明できます。世界全体の『相』を引き摺って変化させてしまう種類の第二原則の反作用を起こす魔術があるのです。第三原則を完全に満たせないという説明もできます。

応用例:魔法的な耐性

 魔法的な耐性は第三原則で、適当に『相』が変わらないことにすれば説明できます。魔法が発動したのに効果が薄いのも説明できます。
 全く魔法をかけられないような耐性は第一原則が満たせないのです。
 魔法が絶対的に失敗する耐性は第二原則が満たせないと考えられます。反作用が大きくなる場合もあります。

応用例:人工知性とアイテム

 魔法的なアイテムや、これまでその存在感が薄かった心を持つインテリジェンスソードなどの役割についてですが、この人工にしろ知性であることの魔法への関わりはこの魔術学では大いに示唆に富みます。
 普通に第一原則の自動的な『相』の分析能力を持つ品物であっても良いでしょう。
 また、それら道具として、威力を向上、保証するものは第二原則を満たすのを補助する品物であるとします。
 さらに、第三原則にある例の「適当に」という部分で自動的な調整能力をもつ品物であっても良いわけです。
 アイテムが象徴『シンボル』として使われるなら、単に第二原則を満たすための最低条件にしかなりません。

応用例:魔法的生物の非コスモポリタン性

 彼らが伝説化するのは、ある『相』上の空間に縛られているからとします。ある魔法的な存在として何らかの『相』のダイナミクスに依存していると解釈します。その土地の『相』の性質に依存しているため、その空間から出ると魔法的性質を失ってしまうと説明できます。魔法的性質を失ってしまうとどうなるのかは、伝説が伝説でなくなるとしか申し上げられません。様々な生物がいるので一つ一つ説明する他にないでしょう。三つの全原則が関わります。生来に魔法的性質を持つ生物は怪物に限らず、コスモポリタンも含む場合がありますが、魔法的に強力なほどその性質を保てる生息範囲が狭いという不思議な点も説明できます。

ワールド

ワールドとダイナミクス

 世界は、その内包する事実が存在するということのための時間の進行『ダイナミクス』の及ぶ、全てによって一つの世界『ワールド』を構成します。時間の及ぶ、つまりダイナミクスの範囲がワールドです。時間の運行は七つ、すなわち、先・後・右・左・上・下、そして回転です。
 相は時間を超越しているため、時の果てを超えて、世界の外に及びます。

ロウワード

 『相』に人工的に働き掛けることは理想的には自然の世界法則の、つまり『相』の永久的な書き替えなのです。永久的な働き掛けはワールドの名前、世界の象徴『ロウワード(シンボル)』が必要です。困難ながらも世界の象徴『シンボル』の書き替えができるから、独占しようと奪い合いが起きたので、それは混乱のうちに失われてしまいました。各種の伝説が各地に残存しています。しかし今は代用品があります。
 それが『Δορουπ』などのシンボルで、代用象徴『セミワード(シンボル)』と呼ばれるものです。一部では本当の世界の名の探索が行われています。

パラレル

 魔法は『相』上のダイナミクスですが、それは世界の外から起きるものです。ダイナミクスそのものにも、『相』があるからです。現象の存在、時間の存在、それが世界性『パラレル』を持つ異界『パラレルワールド』の存在の証拠です。
 異界は四つに便宜上、分類されています。

ハイパラレル

 高位異界『ハイ(パラレルワールド)』とは、我々の世界の『相』上のダイナミクスのうち、本来、森羅万象といった現象を起こしていると考えられます。この異界に射像があるという説があります。この射像によって異界共通の物質界が成立するというものです。

アイデンティカル

 同位異界『アイデンティカル(パラレルワールド)』とは、本来、我々の世界とは別個で関わりない『相』上のダイナミクスを持つ独立した異界とされます。一般的に言って異世界の分類の同士の関係にあります。

ロー

 低位異界『ロー(パラレルワールド)』は、ハイの制御を妨げる『相』上のダイナミクスを持ちます。妨げることしかできませんが、それによる『相』上の歪みを巧みにコントロールして我々の世界にハイ並みの力で働き掛けてきます。このローパラレルワールドが作用する干渉現象が魔法の難度を高めます。逆にこの干渉を引き出すことで魔法の解除難度を高めることもできます。

アウター

 完全外異界『アウター』はハイ、アイデンティカル、ローのどれにも属さない異界で、世界性『パラレル』さえもない場合もあります。我々の世界には観測不能で、接触もできません。

 このように、パラレルはハイ、アイデンティカル、ロー、アウターの四つに分けられます。
 私たちの地球はドループ世界のハイパラレルワールドと共通する射影を持つ物質界です。

可知相と天及台

 相は魔術師が知覚できる帯域があります。人間の視覚や聴覚が及ぶ限界があることと同様です。その帯域を可知相と呼びます。可知相を超えた相は、主に国家規模で設立される天及台(てんきゅうだい)によって探られます。

シンボル

フレイザーとモナド

 魔法を構成するのは象徴『シンボル』で大きく二つに大別できます。共感象徴『フレイザー(シンボル)』と単位象徴『モナド(シンボル)』です。
 フレイザーは三つに分けられるとする、ある魔術学上の解釈もあります。簡単に紹介しましょう。

 類感象徴『ライク(シンボルやレガリア)』は類似するもの、類似の法則に基づくシンボルが該当します。
 感染象徴『パーツ(シンボル)』とは部分を構成していたか、構成しているもの、構成性の法則に基づきます。
 接触象徴『タッチ(シンボル)』は『パーツ』に近いとして一緒にしてしまう場合もあります。これは触れること、接触の法則に基づくシンボルです。

 このようにその魔術学の解釈ではライク、パーツ、タッチとしてフレイザーを三つに分けます。この分類は本来厳密なものではないので限界があると指摘されています。
 モナドはシンタクスに近く、基本的にフレイザー同士を繋ぐ文法的な役割を持つシンボルです。助詞や接続詞のようなものです。普通、モナドのみではマトリクスは無意味ですが、例外としてロウワードが該当するかも知れません。

マトリクスとシンタクス

 魔術(体系)はフレイザーとモナドを連結した象徴配列式『(シンボル)マトリクス』の体系と考えます。
 マトリクスを作るには、どんな法則で構成しても良いわけではありません。言語というと語弊がありますが、話すときエギナ語なのかクノーン語なのかをはっきりさせる必要があるようにマトリクスにも文法があります。形態はともあれ一塊のマトリクスがなすコントロール下の『相』へ作用を生じる構成の様式、つまりマトリクスの配列の根本の様式、それが『(シンボル)シンタクス』です。しかし言語の中にも外来語や方言が混在するようにシンタクスはそれ以上に別のシンタクスが混在してマトリクスを構成します。
 マトリクスが一種類のシンタクスで構成される純血式『ピュアブレッド(シンタクス)』なら作業時間は長いけれども安定し確実です。逆に多種のシンタクスで構成される混血式『ハイブリッド(シンタクス)』なら逆の現象が起きます。
 共通のシンタクスの魔法は習得しやすくなります。
 それぞれのシンタクスにはそれぞれ種類があって様々な特徴を持ちます。
 術を製作しやすいもの、作業が早いもの、確実なもの、緻密な技術で才能をカバーできるもの、安全なもの、大きな効果を扱えるもの、召喚や物品加工や精神体創造などの特殊な目的に向いているもの、特定の術具や生け贄などを媒体化して触媒や消費するのに極めて向いているといったものなどがあります。
 シンタクスは互いに接合しやすい相性があり、ジグゾーパズルのように組み合わせを考えなければなりません。ジグゾーピースがどれだけの数あるかが、パズルの難度になるようにハイブリッドは解読、時には使用が困難な場合があります。

魔法の術法

 相の感知はトランスイメージを用います。これは相に通じるためのビジョンで魔術師が眠つたときの夢やトラウマや陶酔をイメージするものです。
 相はヒエロファニーという神聖顕現やクラトファニーと呼ばれる力の顕現などを感知します。
 魔法はフレーザーやモナド、あるいはシンタクスを得る手法で、スタイルです。主に六つあります。
 シンボルとなる行為を否定し、それを逆に行わない行為をシンボルとするのが禁忌『タブー』です。何かをして他のことをしないようにする、他のことをできないようにするものは含まず、特定の何かをしないで避けることを禁忌行為『タブーイング』を行っていると言います。
 呪文を唱える呪唱・呪詛『スペリング』とは、一定の音声による一連のマトリクスである呪文『スペル』で構成されます。魔法の効果で早めたり抑揚やリズム、発音やメロディーを正確にしたりして強化したスペリングは術上呪唱『パワー・スペリング』と呼ばれます。
 だいたいスペリングは、一連の身振りによるシンボルマトリクスである呪文動作『ジェスチャー』と組み合わさせて構成されます。普通、パワー・スペリングに対しては、魔法の効果で強化した術上呪文動作『パワー・ジェスチャー』と組み合わされます。
 また、紋様や文字や数字などの記号の呪紋『スクリプト』によるシンボルマトリクスがあります。物理的にスクリプトを描くことは、呪描『(ハンド)ドロウイング』と言います。それ以外に、魔法の効果によって描き出すものを術上呪描『パワー・ドロウイング』と呼びます。
 象徴となる物品の形や種類や性質を、象徴となる操作や他の行為で、一連の象徴配列として繋ぐものを儀式『リチュアライズ』と呼びます。触媒を用いる魔法も含みます。特殊な場合を除き、術上儀式『パワー・リチュアライズ』はありません。
 神聖な幻覚や夢『ドリーム』を見るという行為は夢見『ドリーミング』と呼びます。リチュアライズなどの魔法の効果で強化したものは、術上夢見『パワー・ドリーミング』と呼ばれます。
 このように魔法はタブーイング、スペリング、ジェスチャー、ドロウイング、リチュアライズ、ドリーミングに分かれます。ただし混在する場合がほとんどです。

魔術と妖術

正統魔術とは、準世界の名(『ドループ』がその一つ。セミワード)を用いて世界法則(相)を変える原理で導かれる術です。呪文は叙事詩の断片とそれに対するアポストロペーという術法が多いとされています。
一方、妖術(下位シルレイル魔法)は世界を病ませることによって導き出される術です。この世界の病いをロイモスといいます。妖術はかつて存在したシルレイル世界をロイモスで侵すという原理で導いた術、シルレイル魔法の原理を応用発展させたものです。古代のシルレイル魔法はシルレイル世界をロイモスに侵し続けて滅ぼしたとされます。現在の妖術は外界ではなくこのドループ世界を侵すことで力を導くため世界調和を狂わせるのです。
このように妖術は術害(妖術汚染)があるため正統魔術の組織では特定の妖術師に懸賞金をかけて命を狙うことがあります。